捕鯨の歴史

捕鯨史年表

ここでは、日本と世界が歩んできた捕鯨にまつわる歴史について、大まかにではありますがまとめました。
どの国がいつ頃捕鯨はじめ、いつ頃捕鯨を中止し、反対派に回るようになったかも大まかにわかります、
そんな中で日本は、その流れに翻弄されながらも、現在も引き続き捕鯨ができるよう、様々な考えを模索し続けています。

ハラソ祭
現在も続く「ハラソ祭」の様子。

捕鯨の始まり

世界の様々な場所でで捕鯨が始まり、広がり始めた時代です。
日本でも沿岸部の様々な場所で捕鯨が始まりました。

9世紀 ノルウェー、フランス、スペインが捕鯨開始
12世紀 日本で手銛による捕鯨が始まる
1606 太地で「鯨組」による組織的な捕鯨が始まる
1612 千葉県でツチ鯨の手銛漁が始まる
1675 太地で網取り式捕鯨が始まり、それにより捕鯨が急速に普及する
1712 米国でマッコウ鯨漁(アメリカ式捕鯨)が開幕
1838 鮎川で組織的な網取り式捕鯨が始まる
1864 ノルウェーで近代捕鯨が発展
1868 ノルウェーで捕鯨砲が完成、ノルウェー式捕鯨の開幕
1879 出漁中の遭難で太地の捕鯨者111名が死亡。「大背美流れ」と呼ばれるこの事故をきっかけに太地の鯨組は衰退する
古式捕鯨図
古式捕鯨の様子。
古式捕鯨図
捕獲させた鯨は解体され部位ごとに整理され活用された。

捕鯨の産業化と規制の兆し

世界中で捕鯨が行われ、より効率的な方法での捕鯨が模索されました。
その一方で、別の資源を見つけた国が、捕鯨から撤退し始めました。

1899 日本がノルウェー式捕鯨を開始
1903 世界最初の鯨工船(オランダ)がスピッツペルゲン海域に出漁
1904 ノルウェーが南ジョージア島に捕鯨基地を設営、南氷洋捕鯨の開幕
1905 南氷洋に最初の鯨工船が出漁
1906 鮎川に近代的な捕鯨基地が完成し、日本の近代捕鯨が開幕
1925 スリップウェーを設けた母船が初めて出漁
1931 第一回国際捕鯨協定締結
1932 クロー(尾羽はさみ)が登場
1934 日本が南氷洋での母船式捕鯨に参入
1940 アメリカが捕鯨中止
現在も残る「鯨の過去帳」
現在も残る「鯨の過去帳」
和歌山県太地町の「くじら供養費」は捕鯨関係者によって建立された。
和歌山県太地町の「くじら供養費」は捕鯨関係者によって建立された。

捕鯨オリンピックと捕鯨の衰退

各国が鯨類資源を必要とする中、資源の枯渇が心配されるようになり、
オリンピック方式をはじめとする管理方式が模索されていきましたが、
そんな中で、徐々に捕鯨から撤退する国々も増えてきました。
そして、IWCは商業捕鯨モラトリアムを採択。
商業捕鯨は世界で中止されることとなりました。

1941 日本は大戦の勃発と同時に母船式捕鯨を中断
1946 国際捕鯨取締条約締結
日本が南氷洋捕鯨を再開
1948 国際捕鯨委員会(IWC)設立
1949 第一回国際捕鯨委員会の開催
1951 日本がIWCに加盟
1959 オリンピック方式の廃止、自主宣言出漁開始
1962 国別割当制の実施
1963 南氷洋ザトウ鯨の捕獲禁止
イギリスが捕鯨中止
1964 南氷洋シロナガス鯨の捕獲禁止
1972 国連人間環境会議で「商業捕鯨10年間モラトリアム勧告案」が採択される
シロナガス換算(BWU)方式の廃止、鯨種別捕獲頭数枠の設定
ノルウェーが南氷洋捕鯨から撤退
日本がミンク捕鯨を開始
1975 新管理方式(NMP)の採用
1976 南氷洋ナガス鯨の捕獲禁止
1978 南氷洋イワシ鯨の捕獲禁止
1979 IWC会議でインド洋鯨サンクチュアリーが採択される(附表)
1982 IWC会議で商業捕鯨モラトリアムが採択される(附表)
1985 日本は商業捕鯨モラトリアムへの異議申立てを撤回
南氷洋での捕鯨は過酷な環境で行われた。
南氷洋での捕鯨は過酷な環境で行われた。
スリップウェーの出現は捕鯨に革命を起こした
スリップウェーの出現は捕鯨に革命を起こした
捕獲された鯨は無駄なく発揚された
捕獲された鯨は無駄なく発揚された

捕鯨の産業化と規制の兆し

世界中で捕鯨が行われ、より効率的な方法での捕鯨が模索されました。
その一方で、別の資源を見つけた国が、捕鯨から撤退し始めました。

1987 日本は南氷洋での商業捕鯨を中止し、調査捕鯨(JARPA)を開始
1988 日本はミンク鯨とマッコウ鯨の沿岸捕鯨を中止
1990 IWCが南氷洋のミンク鯨資源量を76万頭と評価
1992 アイスランドがIWCを脱退、北大西洋海産哺乳動物委員会(NAMMCO)設立
IWCで改訂管理方式(RMP)が完成
1993 ノルウェーが商業捕鯨を再開
1994 IWC会議で南大洋鯨サンクチュアリーが採択される(附表)
日本が北西太平洋でミンク鯨の調査捕鯨(JARPN)を開始
2000 日本がニタリ鯨とマッコウ鯨を追加して第2期北西太平洋鯨類捕獲調査(JARPNII)を開始
2002 第54回IWC会議が山口県下関市で開催される
日本がイワシ鯨を追加して第2期北西太平洋鯨類捕獲調査・本格調査を開始
2003 第55回IWC会議(ベルリン)において反捕鯨国提案の「保存委員会」設立決議
2005 日本がクロミンククジラとナガスクジラを捕獲対象に第二期南極海鯨類捕獲調査(JARPAII)を開始
2006 第58回IWC会議においてモラトリアム不要の見解と共にIWCの正常化を求める「セント・キッツ宣言」が採択される
アイスランドが商業捕鯨を再開
2007 東京でIWC正常化会合を開催
2008 IWCの機能不全を打開するため、「IWCの将来」プロセスが開始
2010 IWCの将来」プロセスに関し、議長・副議長から包括的合意案が提示されたが、反捕鯨国側がこの案をベースに議論することを拒否したため、本プロセスは事実上破綻
2012 IWC科学委員会は南極海のクロミンククジラの新たな資源量推定値として51万5千頭に合意
2014 3月 国際司法裁判所(ICJ)は日本が実施する第二期南極海鯨類捕獲調査(JARPAⅡ)について特別許可の発給を差し止めるよう判決
2014 4月 衆議院と参議院の農林水産委員会で調査捕鯨の継続実施を求める決議を満場一致で採択
2014 11月 日本はJARPAⅡに代わる南極海における新たな鯨類調査計画案をIWC科学委員会へ提出
2017 6月 日本はJARPNⅡに代わる北西太平洋における新たな鯨類調査計画案をIWC科学委員会へ提出
「商業捕鯨の実施等のための鯨類科学調査の実施に関する法律」を公布、施行
2018 12月 日本政府はIWCからの脱退を通告し、2019年7月から商業捕鯨を再開すると表明
商業捕鯨の時代が過ぎても我が国では過酷な世界に挑み続けている
商業捕鯨の時代が過ぎても我が国では過酷な世界に挑み続けている
現在の調査プログラムでは、捕獲調査以外に非致死性の調査も行われている。
現在の調査では捕獲調査以外に非致死性の調査も行われている。
現在までも、そしてこれからも調査は続く
現在までも、そしてこれからも調査は続く

用語解説

スリップウェー

捕鯨船から母船へ捕獲した鯨を引き渡す際に、鯨が引き上げられる滑り台のような通路で、母船の後部に設置されている。スリップウェーが導入されたことによって解体作業を甲板上で行うことが可能となり、作業行程の効率が格段に向上した。スリップウェーの発明は近代捕鯨史上重要な技術革新であったといえる。


クロー(尾羽はさみ)

大型の鯨を母船に引き上げる際に、鯨の尾羽(尾びれ)に引っかける漁具。現在のミンク鯨の捕獲調査では使用されていないが、シロナガス鯨やナガス鯨を主な捕獲対象としていた時代には、スリップウェーの機能を強化し渡鯨作業に重要な役割を果たしていた。


オリンピック方式

捕獲頭数の国別割当が実施される以前は、全体の頭数制限の枠内で、各国船団が一頭でも多く獲ることを競っていた。各船団は毎週捕獲した鯨の頭数を、ノルウェーのサンディフィヨルドにある国際捕鯨統計局に報告しなければならず、統計局はこれらの情報から捕獲枠に達する日を予測し、一週間の余裕を持って各船団に通知する。この日をもってすべての船団は操業を中止しなければならない。この捕獲管理方式がオリンピック方式と呼ばれるものである。このように各船団間の競争を煽るような管理方式が、資源を枯渇へと導くことになった。


シロナガス換算(BWU)方式

鯨油を主な目的としていた捕鯨全盛時代、採油量を基準にナガス鯨2頭、ザトウ鯨2.5頭、イワシ鯨6頭をそれぞれシロナガス鯨1頭として捕獲頭数を換算していた。 このように鯨種別の管理を行わなかった為、採算効率の高い大型鯨から乱獲されることになり、シロナガス鯨を筆頭に大型の鯨が激減する結果となった。

新管理方式(NMP)

1974年のIWC会議でK.アレンが提案し、1975-76年の南氷洋捕鯨から採用されるようになった 鯨資源の新しい管理方式。こらは三分類方式あるいはMSY(最大持続生産量)方式と呼ばれるもので、 鯨資源を初期管理資源、維持管理資源、保護資源の3つのカテゴリーに分類した上で、保護資源を捕獲禁止とし、 維持管理資源と初期管理資源からその最大持続生産量の一定割合の捕獲を許可する。 MSYとは資源の繁殖率が最高に達する最適水準で年間に増える量である。この管理方式は資源保護のみに 重点を置いた厳格なものであったが、多くの生物学的情報を必要とする為、不十分な情報の下ではうまく機能しなかった。

初期管理資源
最適水準を20%以上上回る資源
維持管理資源
最適水準のプラス20%からマイナス10%の資源
保護資源
最適水準を10%以上下回る資源

改訂管理方式(RMP)

新管理方式の失敗の後、入手可能なわずかな情報の下でも機能する資源管理方式を求めて、 IWC科学委員会で作業が進められた。いくつものテストが繰り返され、5つの候補案の中からJ.クックが提案した管理方式が 採択され、1992年に改訂管理方式として完成した。この方式は生物学的な情報を一切必要とせず、推定資源量と過去の捕獲記録だけで 捕獲枠を算出することができる。また、この管理方式はストック(生活集団単位)ごとに適用されるため、安全性が非常に高い。改訂管理方式の完成により、 捕鯨再開の条件である改訂管理制度(RMS)の科学的作業は達成された。

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