鯨食文化

鯨食の始まり

四方を海に囲まれた日本では、古来より鯨を重要な食料資源として利用してきました。日本の近海が鯨の回遊路に当たり、鯨類が種類も多く資源豊かに生息している環境が日本人の鯨食文化を育む要因になったと考えられます。

縄文時代の前期までは、沿岸に流れ着いた寄り鯨を海からの恵みとして利用していたと考えられています。その後、縄文時代の中期になると積極的に海に出て捕獲を行うようになったと考えられます。捕獲した鯨は食用として利用されたほか、不可食部位の骨なども土器の製造台などとして有効利用していたことが分かっています。

網掛け突き取り式捕鯨(小川嶋捕鯨絵巻)
網掛け突き取り式捕鯨(小川嶋捕鯨絵巻)

日本では飛鳥時代に仏教が伝来すると、その影響から一般に肉食が禁止され、主に魚食から動物性タンパクを摂取してきました。当時は鯨も海の幸として魚と同類と見なされていたため、貴重な食材として取り扱われ、江戸初期までは饗応料理や献上品として用いられていたことが当時の文献などから分かっています。

組織的捕鯨と消費の拡大

江戸時代の初期になると鯨組による組織的な捕鯨が始まり、その後網掛け突き取り式捕鯨と呼ばれる効率的な漁法が開発されると鯨の供給量は大幅に増加します。
当時は生肉類の保存技術がなかったため、赤肉や皮類は塩蔵して全国の消費地へと出荷され、内臓類等は主に産地で消費されていました。

鯨肉調味方
鯨肉調味方

習慣化する鯨食

こうして鯨は江戸時代中期頃には庶民の食べ物となり、各地に鯨食文化が根付いていきます。
江戸では年末12月13日の「煤払い(すすはらい)」の後に塩蔵した鯨の皮の入った鯨汁を食べることが庶民の慣習となっていたようです。
また、江戸時代後期に出版された書物「鯨肉調味方」には70にも上る鯨の部位ごとに料理法が紹介されています。

くじら汁
くじら汁

諸外国の乱獲と沿岸捕鯨の衰退

一方、江戸時代後期になると米国の捕鯨船が日本近海で鯨を乱獲し、資源状態の悪化に伴い日本の沿岸捕鯨は一時衰退を余儀なくされます。

しかし、明治時代後期にノルウェーから捕鯨砲による近代式捕鯨法が導入されると、鯨の供給量も回復し、鯨食文化は途絶えることなく継承されていきます。

アメリカ式捕鯨の操業(勇魚文庫所蔵)
アメリカ式捕鯨の操業(勇魚文庫所蔵)

敗戦と国民を救った鯨食

敗戦後の食糧難の時代、日本人を栄養面から救ったのも鯨でした。鯨肉は栄養価の高い安価な食材として庶民の食生活を支え、学校給食でも子どもたちの健康を育む重要なメニューとして供されてきました。

1962年までは国民一人当たりの食肉供給量で鯨が牛、豚、鶏を上回っていたことからもその恩恵がうかがえます。

鯨の利用図
鯨の利用図

欧米の反捕鯨運動と現在

1970年前後から欧米を中心に反捕鯨運動が巻き起こり、それとともに鯨の捕獲規制が強化され、鯨の供給量は年々減少し、1987年に商業捕鯨が停止されると鯨は再び高級食材として日常の食卓から遠ざかってしまいました。

しかし、鯨は今日でも調査捕鯨の副産物や輸入品を含め毎年五千トン程度が安定的に供給されており、関西の関東煮(かんとだき)やはりはり鍋、道南、東北、新潟でのくじら汁など、全国各地に独自の食文化が脈々と受け継がれています。

関東煮(かんとだき)
関東煮(かんとだき)

鯨食文化 略年表

縄文時代前期
(約9,000年前~)
寄り鯨を食料として利用し始める【縄文時代中期(約5,000年前)の石川県真脇遺跡からイルカの骨が大量に出土】
縄文時代中期
(約6,000年前~)
鯨の積極的な捕獲が始まる【約4,000年前の九州の遺跡から鯨の椎骨を製造台にした「鯨底土器」が発見される】
飛鳥時代 仏教伝来の影響から肉食が禁止されるが、鯨は魚と同類に位置づけられ対象外
室町時代後期 料理書「四条流包丁書」の中で鯨が他の魚をしのぐ最高位の献立として紹介される
江戸時代初期 1606年…紀州の太地で鯨組による組織的な捕鯨が始まる
1675年…太地で網掛け突き取り式捕鯨が始まると、その漁法が全国に伝播し、捕鯨が一大産業として発展を遂げる
江戸時代末期 1853年…米国のペリー提督が来航し、捕鯨船の補給基地として日本に開国を要求
明治時代 1899年…日本にノルウェー式近代捕鯨が導入される
昭和時代初期 1932年…日本は母船式の南氷洋捕鯨に出漁を開始する
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